朝日新聞によれば、東日本大震災の被災地で、伝統技術にほれ込み都会から移り住んだ人たちと被災者がコラボし、地元の素材を生かしたものづくりが始まったようです。「被災地発」を打ち出すのではなく、魅力的なものを。めざすのは、本物へのこだわりです。
東京から来た日本一のギター売りが12月、宮城県女川町でギター工場を始めます。高い宮大工技術を持つ東北の「気仙大工」に力を借り、地元の木も使います。 「ギター作りを地場産業に育て、雇用につなげたい」。かさ上げ工事が続く街で、12月にオープンするJR女川駅前の商店街。ギター製造販売「セッショナブル」の梶屋陽介社長(32)は9日、一角にある工場を内覧し、決意を新たにしました。 鹿児島県の種子島出身。大学卒業後、東京都千代田区の有名楽器店に就職し、ギターを売りました。自ら出演するギター紹介の動画は、月間閲覧数20万回を記録。愛好家らに「日本一ギターを売る男」と呼ばれました。 テレビの津波映像に、いてもたってもいられず、震災直後に縁のない東北に足を運びました。幼稚園のピアノが流されたと知り、ウクレレをかき集め、現地に届けた。現地で開いた音楽イベントの手伝いもしました。 復興にもがく人に出会ううち、使命感がふつふつと湧いて、それが人生初めての感情だったとのことです。「地域を元気にする産業が必要。自分が詳しいギターを作ろう」。楽器店を辞め、昨年11月に起業し、足がかりのギター専門店を仙台市に開きました。 東北で何百年も伝承する気仙大工に、協力を求めました。木の特性を知り抜いた大工の助言通り、試作ギターの設計を0・1ミリ単位で変えると、音質がぐっと上がりました。南三陸杉など素材にも恵まれています。 女川町役場の商店街担当者は「地域の新しい魅力になる」とギター生産に期待をよせています。「女川ギターは品質で勝負できる」と梶屋さん。1年後に月100本作り、有名ミュージシャンが使うようなブランドをめざすといいます。 福島県西部の会津坂下(ばんげ)町のオフィス。女性が、赤や黄などカラフルな布の端の糸を結び、房状にします。400年続く会津木綿で作ったストールです。 丈夫で暖かく、農作業のモンペにも使われた生地。ところどころに太さの違う横糸を使い立体感があります。2013年から東京の雑貨店やインターネットを通じて販売したところ、昨年は約2千本が売れるヒット商品に。有名セレクトショップ「ビームス」とコラボ商品を販売したこともあるようです。 作るのは福島第一原発がある大熊町とその周辺から約100キロ離れた会津地方に避難してきた女性たち。これまで約30人が作業に携わりました。その一人、主婦広嶋めぐみさん(41)は「自分で稼いだお金で子どもに服を買えたときは本当にうれしかった」と振り返ります。 きっかけは、会津坂下町出身で震災当時早稲田大の大学院生だった谷津拓郎さん(29)の発案。卒業間近で帰省中にたまたま震災に遭遇したとのこと。沿岸部から避難してきた人たちへの炊き出しボランティアに携わりました。 知り合った人たちが仮設住宅に入居し、「することがなくてつらい」と嘆くのを聞きました。やりがいのあることはないか。思いついたのがストール作りだったようです。工場が2軒にまで減り、廃れつつあった会津木綿の存続にもつながると考えました。 11年秋に個人事業として会津木綿加工販売を始め、13年3月には会社「IIE(イー)」を立ち上げました。IIEは、「311」の文字をひっくり返しました。「あの日の悲しみや苦しみをひっくり返し、新しい価値や喜びを生む」。そんな希望を込めたようです。 房の加工を仮設住宅の女性たちに依頼すると、目の色が変わり、生き生きとしてきたとのことです。来春には、オーダーメイドを目指します。 谷津さんは「被災地はかわいそうだから買ってもらう、というのではだめ。商品自体が魅力的でないと続かない」と話しています。 http://digital.asahi.com/articles/ASJ1C5WBYJ1CUEHF008.html この記事を英語で読みたい方は、こちらをご参照ください。: http://www.j-abc.com/blog/-tokyo-entrepreneurs-boost-traditional-industries-in-disaster-hit-tohoku-japan
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